親はカンペキでなくていい
子供の頃の記憶を辿ると、親は常にカンペキな存在だった。正論でねじ伏せられるという意味合いではない。また、何でもできるスーパーマンだと思っていたわけでもない。苦手なことや欠点はあるんだけど、なんというか、いつでも正しい判断をする存在だった。その判断力は、困ったときの道しるべになってくれたことも、とても自分の手には負えない危機的な状況から救い出してくれたこともあり、自分にとっては良い思い出として残っている。
そこから時が経ち、親となった自分と、自分の親を比べると、とても追いつけなさそうな大きな差を感じることがある。どんな親でも、一度は感じたことがあることかもしれない。だけどここで「カンペキ」に囚われてはいけないと思う。カンペキを目指すのは良いけど、「カンペキでなければならない」と考えてしまうと、まるでカンペキであるかのように振る舞ってしまうだろう。
どんな大人でも間違えることはある。「カンペキであることに理想を抱くよりも、間違いに気づき、認め、次の行動に生かす力があることに理想を抱く方が良い」と考えて子供と向き合うことも、これもまたひとつの教育方針なのではなかろうか。
結局のところ、幾度も判断を重ね、失敗に学び成長していくのは、子供自身なのだから。